クラシックギター & 各名称

クラシックギターとは、ガット、ナイロン、フロロカーボンなどの弦が張られた、ギターのことである。スパニッシュ・ギターとも呼ばれる。バリトンギターやテナーギターといった特殊な音域をもつものや、12弦ギターを始めとする複弦ギターなどのバリエーションがある。

またフラメンコに使用されるクラシック・ギターは、激しい演奏からボディトップを保護するためのゴルペ板を装着するなどフラメンコ演奏に最適化された仕様となっており、クラシック・ギターとは区別してフラメンコギターと呼ばれる。

クラシック音楽のうち、ギターを用いた演奏や楽曲は、ルネサンス期には既に存在していた。バロック期、古典派、ロマン派の作曲家たちの中にも、ギターを使用する楽曲を書いた者は存在する。しかしギターはクラシック音楽の中ではあくまでも分派した存在であり、これは現在に至るまで事情は変わらない。

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カタルーニャ州 Catalonia

カタルーニャ州とは、スペイン(17の自治州から構成される)の一地方であるが他のスペインの地とは異なった文化を持つ。

特筆すべきはパブロ・ピカソ、ジョアン・ミロ、アントニ・タピエス、サルバドール・ダリ、アントニ・ガウディ、アルベニス、グラナドス、そして、チェリストのパウ・カザルス等たくさんの芸術家が出ていることだ。

偉大なギタリストにして作曲家だった「ギターのベートーベン」、フェルナンド・ソルはバルセロナ生まれ。「アルハンブラの想い出」で有名なフランシスコ・タレガはバルセロナを本拠として活動し、バルセロナで亡くなっている。ギターの楽譜の題名、速度指示、様々なギター用語などがスペイン語なのは、スペインがギターの中心地であったことを示しているが、スペインの中でもなぜか「カタロニア民謡」はギターの重要なレパートリーになっている。

フランコ独裁時代、カタロニアの言語、文化すべてが禁止された苦難の時代、フランスに亡命したチェリストのパウ・カザルスがいつもコンサートの最後に好んで演奏した「鳥の歌」やリョベートによる「盗賊の唄」「聖母の御子」を今夜は広垣さん、小林さんに披露していただきましょう。

(カタロニアは英語由来の表記。)

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Francisco Tàrrega=フランシスコ・タレガ

1852年11月21日-1909年12月15日 ビリャレアル出身。

20世紀のクラシックギターを基礎付け、独奏楽器としてのギターに対して関心が増して行くきっかけを作った人。

幼い頃に用水路に落ちて危うく失明しかけた。おそらくはこのために、家族に連れられカステリョーン・デ・ラ・プラーナに移り、音楽学校に進んだ。最初の音楽教師エウゲニ・ルイスとマヌエル・ゴンサレスはいずれも盲人であった。

1862年にギター奏者のフリアン・アルカスに神童と認められ、その奨めによりスペイン楽壇の中心地バルセロナを訪れる。しかしながら間もなく父親によって連れ戻された。1874年にマドリッド音楽院に進学。豪商アントニオ・カネサの援助のもとに、作曲をエミリオ・アリエータに師事。

1870年代末までにギター教師として立ち(門人にミゲル・リョベートとエミリオ・プジョルがいる)、定期的な演奏会も行なった。ギターのヴィルトゥオーソとして鳴らし、「ギターのサラサーテ」の異名をとった。バルセロナに定住して1909年に逝去。

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Miguel Llobet=ミゲル・リョベートまたはミゲル・リョベット

1878年10月18日-1938年2月22日 カタルーニャのギタリスト・作曲家。

タレガの高弟でセゴビアの恩師である。「リョベート」は日本における慣用的な表記であり、スペイン語およびカタルーニャ語の発音は、語末のtに母音がついていないことから察せられるように、「リョベット」(スペイン語の場合はジョベット)に近い。本名はミゲル・リョベット=ソレス(Miguel Llobet Soles)。

セゴビアやイエペスのような技巧の華やかさは無かったものの、卓越した解釈力によって演奏に録音に国際的な活躍を続け、ドビュッシーやファリャ、ヒンデミットに影響を与えて、20世紀におけるクラシック・ギター音楽復興の偉大な立役者となった。

同郷のカザルスがカタルーニャ民謡《鳥の歌》を編曲して自分のトレードマークとしたように、リョベートも郷土の民謡《アメリアの遺言》を編曲し、演奏や録音で取り上げて、その旋律に不朽の名声をもたらした。作曲家・編曲家としての業績は、近年になって再評価が進められつつある。

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